平成29年2月1日
日本魚類学会
会長 桑村 哲生
日本魚類学会は、京都スタジアム(仮称)の計画に対しまして、平成25年3月以降,数回にわたり、魚類学の専門的見地から、アユモドキをはじめとする貴重な湿地生態系への深刻な影響に関する問題点について京都府知事等に意見を申し上げ、計画の修正・再検討を求めてまいりました。京都府による当事業の事前評価(平成27年6月9日)では、新しい公共事業の進め方としてデザインビルド方式、つまり実施設計と建設工事を併走で実施する計画が発表され、われわれはこれに対し、生物多様性保全の国際的な合意事項である予防原則から大きく外れる建設ありきの短兵急な進め方であり、根本的に問題があると意見いたしました。その後、昨年(平成28年)4月28日に出された「亀岡市都市計画公園及び京都スタジアム(仮称)に係る環境保全専門家会議」(以下、専門家会議)の座長による提言(以下、座長提言)において、まさに当初計画の時間枠ではアユモドキ等の保全が保証できないことが明言され、同年8月24日に京都府知事と亀岡市長は座長提言を受け入れる形で、計画地を「亀岡駅北土地区画整理事業地」(以下、駅北地区)に変更することを発表しました。
当初計画は、とくに稚幼魚期の生息環境としてきわめて重要な水田・水路地域そのものにスタジアムおよび関連施設を建設するというものであり、予測される影響は看過できないものでした。一方、駅北地区は、過去、また最近でも潜在的にアユモドキ等の貴重な生息環境であったものが、すでに広範囲にわたる盛土によって大きく環境を変え、今後大規模な開発が進められる区域とされています。座長提言では「アユモドキが生息する曽我谷川流域への直接的影響は回避され、地下水保全等を行えばアユモドキの生息環境への影響は軽微となると考えられ、保全が確保されるものと考える」とされ、このまま駅北地区が開発されるならば、その地でのスタジアム建設は、当初計画よりも相対的に保全に考慮すべき要件が少ないといえるでしょう。
しかしながら、駅北地区を北東に流れる地下水は、曽我谷川合流部に近い保津川右岸部に湧水をもたらし、アユモドキの冬期を中心とする生息環境に深く関係していると考えられています。同時に、当学会が発行する学術誌『魚類学雑誌』に掲載されたアユモドキの存続可能性に関する研究論文*によれば、冬期から初夏にかけての生存率がアユモドキの存続可能性にきわめて敏感に影響し、現状からの悪化は絶滅確率を明確に上昇させることが、詳細なシミュレーション解析に基づいて示されています。座長提言にある「地下水保全等を行えば」という条件は、駅北開発およびスタジアム建設の最重要要件であり、これが満たされない場合には、計画地変更を含めたさまざまな保全対策を無に帰すおそれさえあります。
われわれは、魚類学・生態学・保全生物学の専門的立場から、アユモドキおよび計画地周辺に広がる湿地生態系に対する本スタジアム計画の直接、間接的な影響という観点で本事業評価調書を検討し、とくに以下の3点について大きな懸念をもち、本事業を開始する段階ではないと考えます。第三者委員会におかれましては、その趣意をご理解いただき、ご検討、ご対応いただけますことを心よりお願い申し上げます。
- アユモドキ保全の観点から地下水保全が保証されていない
調書11~14ページで説明されている地下水保全に関する検討は、地下水位や流出量に関する広域・全体的な解析結果であり、それ自体の意義は認めるものの、次の2点でアユモドキへの影響評価につながっていません。したがって、12ページ等にある「地下水保全に関し、アユモドキ生息域への影響は軽微なものと考えられる」という結論は根拠に乏しいものです。
(1)限られた地下水および地質に関する実測データにもとづくシミュレーション計算であるにもかかわらず、実質1つの検討条件のみで解析が行われており、その再現性や信頼性に関して客観的な評価ができません。このような解析を行う場合には、本来、用いたパラメータやモデルの信頼性を考慮し、多数の検討条件で解析を実施し、結論の頑強性を明示することが求められます。とくにどのパラメータや仮定が結果に影響を及ぼしうるのか、感受性(sensitivity)に関する分析結果の提示が求められます。
さらに、今後の駅北地区で行われうる建設の先鞭を切るわけですから、どの程度の基礎杭等の施工が地下水に影響を与えうるのかなど、単にスタジアム建設の影響のみにとどまらない波及効果を評価しておくことが、公平で責任ある姿勢であると考えます。
(2)アユモドキの越冬等の環境に対する地下水(湧水)の影響は、広域的な解析とはまったく異なる時空間的な枠組みで生じ得るものですが、まったく検討されていません。現在の越冬場所の具体的な場所や数、湧水の流路、それに基づくスタジアム等駅北開発による潜在的な影響と回避策などが定量的に示されない時点で、影響が軽微だといえることはありえません。
さらにいえば、新聞報道や関係者からの聞き取りによると、このような最重要で難しい地下水保全に関する検討が、専門家会議に対して、本事業評価のわずか10日足らず前(1月25日)に提示され、検討が行われているということです。まさに事業実現のみを優先した、性急な進め方と言わざるをえません。このような性急な進め方や、そのなかでの専門家会議の検討・判断次第では、府・市の設置した専門家会議による環境保全対策の検討と実現という本事業の枠組み自体を揺るがす事態をもたらしかねません。
- 「座長提言」受け入れ条件であるアユモドキ保全への具体的な実施計画が明示されていない
調書5~7ページにおいて、駅北地区への変更の要件として「アユモドキの保全の確保」が説明され、また11~15ページ、19ページ、27ページなどにおいて、その検討項目や大まかな体制、つまり「府及び市は国や地元等の関係者と連携を図り」ながら保全対策に取り組むことが記されています。しかし、現状では具体的な体制や計画などが存在しない、あるいは明示されていない状況です。アユモドキの保全に向けた実施体制が客観的に確かなものとならない限り、それが前提であることが明記された開発計画を現時点で承諾することはできないと考えます。
- 計画進行時のモニタリング調査と専門家の助言による対策の実効性に疑いがある
調書15ページにおいて、モニタリング調査と専門家による助言の継続がなされることが明記され、それ自体は重要であり、評価すべきことです。しかし、上記の地下水の影響等は、短期から長期にわたり、さまざまな形で表れうるものですが、具体的なモニタリング内容と評価規準が示されていません。また、たとえアユモドキの存続性への悪影響が懸念される事態が認識されたとしても、当初の状況に戻せない大きく制限された条件の下で、実際に実効的な対策を実施するのは、たとえ専門家の助言があったとしてもきわめて困難であると想定されます。
このような取り返しのつかない、具体的予想の難しい環境問題に対しては、本来、予防原則に基づき、慎重な計画立案が求められることを再度強調したいと思います。しかし、もしそのようななかで事業が進められるのであれば、最低限、代償措置を事前に計画、実行し、もしもの場合に対応できるようにしたうえで、開発計画を承認し、実施していくべきであると考えます。具体的には、スタジアムおよび駅北開発にともなう保津川右岸部におけるアユモドキの越冬等の環境への影響を精査し、さらに代償措置(あらたな越冬環境の創成など)を具体化、検証することを、事業開始の前提とすべきであると考えるものです。
上記に加え、27ページにもありますとおり、亀岡市の都市計画公園となった当初の計画地を含む広域なアユモドキの生息環境の保全に向けて、京都府と亀岡市は主たる責任をもって、速やかで着実な体制構築と保全計画の実施を行っていくべきであり、スタジアム事業もそれと切り離して考えるべきではないと考えます。なぜなら、当地の営農維持に関する厳しい状況のもとではありながらも、この度都市計画公園化が進められ、アユモドキを含む湿地生態系の存続基盤にきわめて大きな変化をスタジアム計画が与えた現実は、駅北地区への建設地の変更によっても何ら変わらないからです。
以上。
*渡辺勝敏・一柳英隆・阿部 司・岩田明久.2014.琵琶湖・淀川水系のアユモドキ個体群の存続可能性分析.魚類学雑誌,61: 69-83.
<本件に関する問い合わせ先>
日本魚類学会 自然保護委員会
委員長 森 誠一
岐阜経済大学地域連携推進センター
電子メール:smori@gifu-keizai.ac.jp
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