2024年6月12日に,京都市内において学会賞選考委員会を開催し,公平かつ慎重な審議の結果,日本魚類学会賞候補には前川光司氏(北海道大学名誉教授)を,奨励賞候補には畑 晴陵氏(日本学術振興会)を,論文賞候補には以下の2編を選出した.
- Keita Ido, Tsukasa Abe, Akihisa Iwata, Katsutoshi Watanabe (2023) The origin and population divergence of Parabotia curtus (Botiidae: Cypriniformes), a relict loach in Japan.
Ichthyological Research 70:256–267
- Tetsuroh Ishikawa, Kohta Kida, Yoshihiro Kashiwagi, Katsunori Tachihara (2023) Many losers and a few winners: polymorphic life history of non native largemouth bass is explained by ontogenetic diet shift and prey growth rate.
Ichthyological Research 70: 446–456
以下それぞれの賞候補について,その審査過程と選考理由を記す.
I. 日本魚類学会賞候補
日本魚類学会賞候補には1名の応募があった.応募者である前川光司氏はサケ科魚類の進化生態学に関する先駆的研究において国内外で高い評価を受けているだけでなく,日本の魚類学の国際化,普及・啓発に多大な貢献をしている.日本魚類学会での役員・委員歴に関して議論があったものの,後進の育成等を通じて日本魚類学会の発展に大きく貢献していることも確認し,最終的に全会一致で前川光司氏を日本魚類学会賞候補とすることを決定した.
前川光司氏(北海道大学名誉教授)の選考理由
前川光司氏は,北海道大学の名誉教授である.査読付きの原著論文数が101編であり,うち88編が査読制の英文国際誌に掲載されている.これらの論文は,魚類学関係誌(魚類学雑誌,Ichthyological Research,Environmental Biology of Fishes等)とともに,生態学・進化学の国際的著名誌(Evolution、Oikos,Molecular Ecology等)に掲載され,高く評価されている.また総説論文が13編,著書・編著書も22件あり,特に同氏の研究成果の一部についてまとめた「回遊する淡水魚―生活史と進化」(東海大学出版会)や「サケマスの生態と進化」(文一総合出版)は後進の大きな指針となっている.
前川氏は,進化生態学の発展期にサケ科魚類を対象とした先駆的な実践研究を行ってきた.同氏の研究は膨大な野外調査に基礎を置きながらも,進化生態学・行動生態学における理論的位置付けを意識して展開されたものであり,日本の魚類生態学の近代化を大きく進めた.初期の大きな研究功績としては,分類学的に混乱していた北海道の然別湖に生息するミヤベイワナを,発育に伴う形態や生活様式の比較を通じて、現在も適応進化しつつあるオショロコマの亜種として位置づけた研究があげられる.当時の日本は魚類に関する進化生態学的な視点に基づいた研究が少なく,魚類学雑誌などの学会誌で発表されたこの研究は若い魚類研究者に大きな影響を与えた.特に回遊型が出現するサケ科魚類において,スニーキング行動を示す河川残留型の繁殖成功度を行動観察と遺伝学的手法を用いて世界に先駆けて明らかにした研究は,多くの魚類・進化生態学者に大きな影響を与えたといえるだろう.これらの先駆的な研究を介した欧米の生態学者たちとの交流とイニシアチブによって,後進世代の研究の国際化に大きく貢献した.例えば国際イワナ学会では日本人研究者の存在感を高め,1988 年には大会事務局長として,第2回国際イワナ学会(札幌)を開催した。昨年に日本開催となった第10回国際イワナ学会(日光)の成功にも大きく寄与し,この成果はIchthyological Research誌の特集号としても出版される予定である.
前川氏の研究の根幹には,徹底したフィールド調査と新たな理論や新技術に対する進取の研究姿勢がある.同氏による新知見や展望は多くの著書や編著書において日本語でまとめられ,多くの魚類研究者に多大な影響を与えている.共同研究等を通じて指導を受けた後進は現在の日本魚類学会の活動を多方面で支えている.同氏はまた,市民向けの講演や新聞連載などを通して,社会への魚類学の普及・啓発を活発に続け,各種委員会の委員を務め,魚類多様性の保全にも重要な貢献をしてきた.以上のとおり,前川氏は研究・教育における顕著な功績に加え,学界や魚類学に関する活動を通じた社会への貢献も大きく,その功績は顕著である.委員会は,前川氏が今年度の日本魚類学会賞候補に相応しい研究者であるとして選考した.
II. 日本魚類学会奨励賞候補
奨励賞候補には3名の応募があった.いずれの候補者も募集要件を満たし,またそれぞれの研究分野において顕著な業績をあげていることを確認した.各応募者の研究のインパクトと独創性,国際誌への掲載論文数と質,社会・教育活動での貢献,本学会での活動状況,将来性等を基準に評価を行った.その結果,3名全員の候補者が委員により推薦され,論文の数,代表論文の独創性,研究分野の幅,社会・教育活動や日本魚類学会への貢献度について,委員の評価が分かれた.再度議論を行って推薦者数上位2名で採決を行い,最も得票数が多かった畑 晴陵氏を奨励賞候補とすることを決定した.
畑 晴陵氏の選考理由
畑 晴陵氏は,日本学術振興会海外特別研究員として米国スミソニアン自然史博物館に在職している.論文総数は261編,そのうち89編が査読制の雑誌に英文で掲載され,78編が筆頭著者の論文である.これらの論文の多くは魚類の分類学と生物地理学に関するものであり,Ichthyological Researchにも14編が掲載されている。また,図鑑類などの著書も15冊ある.
畑氏は,鹿児島大学の在学時から現在に至るまで,ニシン目魚類の分類学的研究を精力的におこなってきた.いわゆる「イワシ」と呼ばれる魚類を含むニシン目には,水産重要種を多数含む一方で沿岸性種や淡水性種も多く,強い漁獲圧や開発の影響を受け易いためその保全管理のために正確な分類学的研究が不可欠である.しかし種ごとの外見的特徴に乏しく,正確な分類が難しい当該分類群の種同定は長い間進展してこなかった.また,これまで広域分布種と考えられていた単一種に形態的に類似した複数の種が隠蔽されている事例も多く,その実態解明には様々な分布域から得られた網羅的な標本が必要となる.同氏はこの問題の解決のため,世界各所で積極的に標本の採集を行うと同時に,無数の研究機関を来訪し,多くの標本の観察し続けてきた.このような研究活動を通じ,従来400種程度が含まれるとみられてきたニシン目魚類に関して,50以上の種を発見・記載した.また,多くの既知種に関しても分類学的整理を行い,正確な分類体系の構築を進め,ニシン目魚類の専門家としての世界的な知名度も高い.
畑氏の分類学に関連する圧倒的な数の業績は,同氏の非常に精力的な研究活動を表しており,日本近海の魚類多様性に関する研究に大きく貢献していると評価される.また,国内外において魚類標本コレクションの構築・拡充に非常に熱心に関わり,東南アジアなどの国々での国際共同調査・標本採集などの場においては標本の作製方法や管理手法などの技術協力にも積極的である.複数の学術雑誌の編集委員を務めるほか,書評や総説なども含めた書籍への寄稿も多い.今後は,これまでに構築した国際的な研究者ネットワークを利用した国際的な活躍や世界のニシン目魚類を扱ったモノグラフの出版も期待される.以上により,委員会では,畑 晴陵氏が今年度の魚類学会奨励賞候補に最も相応しい研究者であるとして選考した.
III. 日本魚類学会論文賞候補
論文賞については,自薦および編集委員会推薦による9編を対象に選考した.これらの論文について,研究論文としての完成度,研究方法や内容の斬新さ,各専門分野と魚類学の進展への貢献度などを基準に評価を行った.選定の第1段階として,各委員が自身の推薦する論文2編とその推薦理由を述べた.その結果,特に得票数や評価の高かった2編を選定した.研究分野等の重複もなかったことから,まずはこの2編を論文賞の候補論文として決定した.さらに,その2編以外のうち,得票があった論文の評価・検討を行い,もう1編を第3の候補として仮選定した.過去の各年度の論文賞の数や分野なども加味して評決を行ったところ,最終的には第1段階で選定された2編のみを論文賞候補とすることが決定された.以下に,各論文が高く評価された理由を記す.
- Keita Ido, Tsukasa Abe, Akihisa Iwata, Katsutoshi Watanabe (2023) The origin and population divergence of Parabotia curtus (Botiidae: Cypriniformes), a relict loach in Japan.
Ichthyological Research 70:256–267
本論文はアユモドキの進化史を分子遺伝学的手法により推定したものである.豊富なサンプル数とデータ量(391個体;ミトコンドリアゲノム全長と33座のマイクロサテライトDNA)にもとづき,アユモドキ科における本種の系統的位置から種内の遺伝的集団構造まで,幅広いタイムスケールでの進化史を高精度に推定している.種内の遺伝的集団構造に関する知見は絶滅の危機に瀕する本種の保全においてもきわめて重要であり,この点が特に高く評価された.
- Tetsuroh Ishikawa, Kohta Kida, Yoshihiro Kashiwagi, Katsunori Tachihara (2023) Many losers and a few winners: polymorphic life history of non native largemouth bass is explained by ontogenetic diet shift and prey growth rate.
Ichthyological Research 70: 446–456
本論文は沖縄島のダム湖で観察されたオオクチバスの一個体群内での生活史多型とその発生要因について報告したものである.成長が速く長寿の「通常型」と成長が遅く短命の「矮小型」が一個体群内で発生し維持されているメカニズムに成長に伴う大型餌料への食性変化の成否が関わっていることを,膨大な数の齢査定・胃内容物調査(約1500個体)と主要餌生物の成長率解析(500個体)などによって明らかにしている.本種がさまざまな餌料環境で個体群を維持できる理由を探る上で重要な知見を提示しており,価値の高い論文と評価された.
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